「数学に感動する頭を作る」を読みました。
この本は、数学の講師である栗田哲也さんの本で、数学を学ぶことについて説明されています。
数学に焦点が当たっていますが、本に書かれている内容と翻訳を比べて考えるとどちらにも通じるところがあるなという感想を持ちました。
特に、学習には連想力をつけることが必要といった内容がありますが、このポイントは翻訳にも必要な力だと、ただただ頷きました。
この中で、特に大きく感じたことを2点まとめました。
記憶と連想力は違う
数学でも数式の解答のパターンを記憶する人と、少ない材料で、連想力を使って解く人がいる。後者の方が後で、能力が伸びることが多いようですが、
これは翻訳力にも必要な力だと思います。
確かに、初期段階で、英語の単語や、構文を記憶することは、とても大事なこと。
そもそも、その段階がなければ、読めない、聞けない、話せない。
ここから、翻訳となると、原文には、必ずストーリーがあるわけで、それを理解するには背景知識が必要、そして、その背景知識をしっかりと構築するプロセスには、連想力「あ、この原理は~の原理に似てるな。だったら●●ってことかも?」という、検索する力にもつながると思います。
ストーリーを追う能力
本の中にピアノを習うことが効果的という旨の記載がありました。
そこで、5~6歳ころから中学生までピアノを習っていた(習わされていた)ことを思い出しました。
今、その時の自分をこの本を読んだメタで振り返ってみると、
確かに、何かを習得するには繰り返し練習することの必要性をその時すでに感覚的に理解していました。
楽曲の記憶の仕方は、ストーリーを追うように覚えていた、つまり、ここは序盤、そして中盤、クライマックスがあって、エンディングを迎えるといった流れを、音とストーリーで理解していました。
今なら、振り返ってそう言葉で説明できますが、当時は、そんなことを意識してピアノを弾いていたのではなく、すべて、感覚的に行っていたと思います。
今思うと、そのストーリーを追うような力は、文面の読解力でもあるし、分からない部分を「知りたい」という要求を追求できる力になると感じます。
加えて、そろばんも習っていました(習わされていた)。
今でも、常に計算は頭の中で、そろばんをはじいているし、そろばんの繰り上げ、繰り下げの作業は、九九をただ覚えたのではなく、そのそれぞれの、足し引きの、数字と数字の関係性が立体的に(ストーリー仕立てで)頭の中で行われていたと思います。
この点については、習い事としてその2つを選んでくれた両親に感謝しかありません。
翻訳とあてはめて考える
このストーリーを追う力、というよりも、追及したい要求は、翻訳をする際にも必要だと思います。
現在、特許翻訳をしていて思うのは、文法だけでは、どうにもならないことが多い。
決定打になるのは、出願者(その原文を書いた方)が何を意図しているのかを、立体的に考察、読むことが必要だとつくづく感じます。
では、立体的に考察、読むには、やはりその背景知識が必要ですし、その背景知識を前提にストーリーが見えることで、翻訳の面白さがでてくると思います。
ここで気を付けたいのが、余分な解釈を入れることなしに翻訳すること。
この点については、英語の文法からの考察も、書き手の脳内をトレースするのに必要となります。
このため、TOEICの点数が●●でも翻訳ができるという式はまったく成り立たず、
スタートは何点であっても構わないけど、それ相応の積み上げが必要。
つまりは単語や文法を覚える記憶力も必要だし、ストーリーを追う力も、どちらも必要。
しかも、この積み上げには終わりはない。改めて強く感じました。
まとめ
ということで、「数学に感動する頭を作る」を読んで、感じたことをまとめました。
- 翻訳をするためにはストーリーを追う力が必要
- 単語や文法を記憶する力も必要
- 翻訳は終わりのない旅、だからこそ面白い
改めて、学習の仕方や、何が必要なのかを考えるきっかけになる本でした。